日本の生態学事情

明治~大正

 日本の動物学は、たった一人のアメリカ人と一人のアメリカ帰りの日本人が教えた4人の日本人学生から始まりました。課題を身近なテーマに集中し、まず臨海実験所を設立して海産動物、水生動物など入手しやすい動物で観察、実験を行ってきました。

次に、どのような動物がどこに生息しているのかという日本全国の地理的分布、そして農業や水産業への「応用」、たとえば牡蠣や真珠貝の養殖や様々な動物の農業被害の防除などがテーマになりました。オオカミは動物学の対象に取り上げられる前に絶滅してしまいました。

昭和初期

東京帝国大学で生物学を学んだ学生たちは、各地の大学に広がっていきます。

1919年京都大学の動物学科、1921年東北大学の生物学科、1930年代には北海道大学、東京文理大学、広島文理大学、その他の大学に動物学科や生物学科が新設され、卒業生たちは各地の高等学校、高等専門学校も含めて職を得て、それぞれ研究を行い、後進たちを指導することになりました。

それが現在の日本の生物学生態学につながっていますが、その中で特に重要な大学が、後の京都大学と北海道大学です。京都大学は「日本の生態学」を作り上げた大学として、北海道大学は「現在の日本の野生動物管理」を現に進めている人たちを育てた中心的な存在として重要です。

京都大学と今西錦司

京都大学教授の川村多實二は東大理学部生物学科を1909年卒業し、京都大学に移って琵琶湖畔の臨湖実験所で淡水生物学に取り組むことになりました。野外生物学への興味から1919年渡米、生態学を重点的に学んで1921年帰国後、教授に就任し、森林渓流の生物研究を進め、川村の指導によって、河川、渓流の研究が日本の動物生態学の一つの出発点となりました。1930年代に後に活躍する学生・研究者が川村の下に集まってきたためです。今西錦司、上野益三、可児藤吉などが京都大学で研究をはじめています。今西錦司と可児藤吉の「棲み分け理論」が生まれたのもこの河川・渓流の研究グループがあったからこそ、集中的に研究を進められたからといえます。ここまでは身近な魚類や昆虫などが生物学の中心的課題でした。

今西は、戦中には蒙古で野生馬、戦後都井岬の野生馬を研究していましたが、戦後すぐに、今西と大学生だった伊谷純一郎、川村俊蔵の3人が大分県の高崎山でニホンザルの社会行動の研究を開始します(1947年)。これが、中大型の野生哺乳類の研究としてはほぼ初めてと言っていいものでした。

北海道大学と犬飼哲夫

東京帝国大学を出た八田三郎が北海道大学の動物学の基礎をつくり、弟子だった犬飼哲夫が1930年に教授に就任しました。彼は農学部と理学部の教授を兼任し、哺乳類の応用動物学的研究、農林業への適用を考慮した生物学の方向に進みました。

戦後になると、農学部では、野ネズミなどの林業への有害哺乳類を駆除するための応用動物学志向が強まり、戦前にはイタチを野ネズミの天敵として利用する実験を行っています。1930年代以降、北海道全土でもエゾヤチネズミによる林業被害が大きく、その対策が求められていたからです。農学部動物学教室には、1946年ごろからネズミ研究グループが作られ、当時日本の哺乳類研究グループとしては最大の人員を抱えることになり、野生動物と人間の軋轢をコントロールする、野生動物を制圧する、という傾向が増していきました。

犬飼は、ヒグマについても害獣としての観点から研究をしています。彼のヒグマ観は、「北海道の熊は文化の敵、人類の敵である」というものでした。しかし、アメリカで行われた国際クマ学会(1970年)に参加し、アメリカのクマ研究の主流が「いかに保護、共存するか」であったことにショックを受けて帰ってきました。

大型哺乳類の研究

1960年代までの生態学は、北大のネズミ類の個体群生態学には優れた研究があるものの、中大型哺乳類の生態学研究では、京大のニホンザル以外にはみるべきものがない状態でした。

1970年代に入ると京大のサルをテーマとする霊長類研究所が活動を活発化させ、北大の学生組織であるクマ研がヒグマの調査を始め、東京農工大の丸山直樹のグループがニホンジカやニホンカモシカの研究で次々に成果をあげ始めました。

こうした今西や犬飼の次の世代から日本で中大型動物の本格的な研究が始まったのです。

日本へのオオカミ再導入のアイデア

80年代になり、ニホンジカによる獣害問題が大きくなっていく中で、そのニホンジカを研究対象としていた東京農工大の丸山直樹は、シカ増加に対して生態学的観点から捕食者の存在、不在に気づき頂点捕食者オオカミの再導入を唱え始めました。この気づきは重要です。

しかし生態学者の主流は京都大学の動物社会学的研究、北海道大学の人の手による野生動物管理であったため、アメリカで議論されていた食物連鎖の上でのトップダウン効果や栄養カスケードなどの議論が日本には少なく、理解されにくかったようです。今もまだ、議論の俎上にあるとは言えません。

これからオオカミ再導入を前提としてこうした理論が議論されるよう期待しています。